弘前八幡宮について
国指定重要文化財 《本殿・唐門》
慶長十七年(一六一二)二代藩主信牧公の治世、大浦郷八幡(元岩木町八幡)から、 それまで大浦城の鎮守と崇めて来た八幡宮をこの地に遷座(鎮座)しました。
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弘前八幡宮はこの地に鎮座以来、津軽総鎮守、弘前総鎮守、弘前城鬼門守護の藩内における最も尊貴な社として、祭典の齋行、社殿社地の維持管理、社家の処遇等一切藩費によって賄われ、殊に天和二年(一六八二)以降藩主在国の年(隔年)に恒例として行われた藩内最大の祭礼の盛観は、現に弘前市立図書館に保存されている絵巻物によっても当時の俤を偲ぶことが出来るのであります。 御神徳の一端について申し上げますと、津軽藩の総鎮守として、又城下町弘前の総鎮守として神恩光被広くあまねく、藩はもとより津軽全郷から「お八幡様」と尊ばれて参りましたことは今更述べるまでもありません。 古来「弓矢八幡」武神としては武家信仰の中核であり、又御祭神の御治績から推して、国土の開発、産業の興隆、文化の普及、民主の安定等、国家及び国民生活全般に亘る守護神即ち文化神でもある事がうかがわれるのであります。又、八幡大神即ち応神天皇は、皇紀八六〇年(西暦二〇〇年)十二月(戌の月)十四日(亥の月)の御誕生で、御寿命は百歳を越え御運誠に目出度き御生涯と言われ、津軽地域の「一代様信仰」において、戌(いぬ)年・亥(いのしし)年生まれの、生涯の守護神として崇敬されております。
この地に鎮座以来、津軽総鎮守、弘前総鎮守、弘前城鬼門守護の藩内における最も尊貴な社として、 祭典の齋行、社殿社地の維持管理、社家の処遇等一切藩費によって賄われていました。
この神社は始め大浦城(現岩木町)の鎮守として大浦城下にありました。それを津軽藩主二代信枚が高岡城(現弘前城)完成の翌慶長十七年(一六一二)に鬼門の押さえとして現在地に遷座したものです。 本殿は、三間社流造で、蟇股・向拝頭貫の象型木鼻などの様式に桃山時代の特徴がみられます。 唐門は、入母屋造、こけら葺の四脚門です。特徴は、軒の唐破風や美しい四隅の軽い反りなど屋根部分にあります。 本殿・唐門ともに此処に特異な地方色を示しながら全体の形はよく整っており、桃山時代の巧みな建築手法を示す秀でた建築物です。 昭和十一年九月に両つながら国宝に指定され、現行の制度では重要文化財(棟札五枚含む)となっております。
一代様について
津軽地方独特の習慣で、自分の生まれた年の干支を守り神とした信仰のことです。 藩政時代から「津軽一代様信仰」として広く信仰されており、現在も子供が生まれた時の初宮詣や受験・就職などの人生の節目においては、必ず自分の一代様にお参りする習慣が続いています。 また、除夜の鐘が鳴ると各家で家族それぞれの一代様へお参りしたり、厄年の参拝や、干支の絵馬を奉納したりといった事も行われています。
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